移住について思うこと

本当の日本らしさって何?

こんにちは!グーテンターク!

働きすぎが日常で自分の人生や家族のための時間より仕事を優先することが当たり前で美徳という日本の常識は、世界の常識からすれば「信じられない」「狂っている」とドン引きされる異常な非常識。このような「特殊な」社会の在り方が人々から時間(=人生)と心の余裕を奪い、心の病や児童虐待の増加、世界有数の自殺率の高さなど日本社会の様々な問題を引き起こす原因となっている😕

今の時代しか知らない私たちは、このような勤勉さや我慢強さこそが伝統的な日本人らしさであり美徳であると教えられ、昔からずっと日本はそうだったと信じている。苦しんでいる多くの人たちにとってはほとんどディストピアにも見えるのが「今の」日本だ。かつての私もそんな日本社会とそんな日本に合わせて生きなければならない自分に絶望していた。

でも、本当に「昔から」日本はそうだったのだろうか?今は私は、「今の」日本は、世界という横軸から見ても、日本の歴史という縦軸から見ても「特殊な状況」になっているだけで、特に第二次世界大戦前後において、世界的にも称賛されるべき日本らしさがゆがめられ、以降どんどん失われていってしまったと思っている。つまり、今の日本は、日本の歴史上でも特殊な、全く日本らしくない時代にあると思っている。

「逝きし世の面影」渡辺京二著:平凡社ライブラリー

日本では江戸時代という世界史的にもまれな300年の平和の時代(この間、西洋では戦争や侵略しまくりの略奪と殺し合いの時代)を経て、文化と社会が洗練され、社会制度やインフラが整備され、上流階級から一般庶民に至るまで読み書きや社会道徳の観念が普及した。そして長きにわたる平和な時代の中で、もちろん今と違い疫病や飢饉などはあったにせよ、少なくとも社会としては、満ち足りた幸せで笑顔にあふれた生活・人生を多くの人が実現できていた社会を作り、それは人類史上、最もユートピアに近づいた理想的とも言えるような社会だった、と私は思う😀

このことは幕末から明治初期に日本を訪れた外国人たちの多くが驚きと称賛とともに本国への報告や日記に書き残している。当時、彼らが見てきたほかのどの国でも社会道徳は乏しく、ヨーロッパにおいてさえも他者への配慮といった洗練された社会道徳や規律は裕福な上流階級にのみ見られるもので、一般庶民には見られないものだった。

ところが、「日本人は貧しい庶民でもことあるごとによく笑い、満ち足りた顔をして幸せそうに見える。ここには貧しさはあっても人間の品性まで貧しくなるような貧困はない」ということを一人だけではなく、九州から北海道函館に至るまで、日本各地を訪れた多くの外国人が事実として書き残している。そして「すでに完成され一つの理想に到達しているようにも見えるこの美しい日本社会に西洋の文明を悪徳とともに持ち込み、近代化することが本当に正しいことなのだろうか」と複数の外国人が自問しているのだ🤔(参考:「逝きし世の面影」渡辺京二著:平凡社ライブラリー )

ここで近代化が良かったとか悪かったとか言いたいのではなく、言いたいのは、「今の社会がどうしようもなく思えても、日本に失望する必要はない」ということだ。私もそうだったが、自分の生まれた国を悪く思ったり失望したりすることも(好きでそう思いたいわけではないので)大きなストレスで不幸だ。私の場合はこの本を読んで救われたし、日本と日本で生まれ育ったことへの誇りと未来への希望を取り戻せた。


そして今の日本は歴史的にも本来の日本らしさからかけ離れた「特殊な状況」にあるだけで、すぐには無理でも本来の日本の美徳と幸せな社会を取り戻し、未来に模範として世界に示す時が来る可能性はる。かつて人類の歴史上、最も理想に近い社会を実現した日本に生まれた私たちは、その可能性をあきらめてはならないと思っている。


本当のことは直接確認のしようもないが、この本に出てくる外国人全員が口裏を合わせて同じうそを書けるはずもなく、その言葉を信じるなら、江戸末期の社会の様子は確実に「今の」日本よりは幸せそうに見えるし、私も彼らと同じ様に驚きと憧れを感じずにはいられない。少なくとも、疲れた顔をしている人が多い今の日本を見たら、彼らが同じ感想を持つとは私には思えない。読み物としても、とても面白い本です😀

ベルリンから愛を込めて!アウフビーダーゼン!

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